『限界費用ゼロ社会』


副題は「<モノのインターネット>と共有型経済の台頭」。


重要なキー

  1. コミュニケーション
  2. エネルギー
  3. 輸送(僕は厳密には「流動性」が重要なのだと思うが)

この3つの役割を理解することでより良い社会を描けるという。

 

 

1.コミュニケーション

コミュニケーションの仕方を大きく変えたのは印刷革命です。

紙に印刷が出来るようになったことで人は口承よりも効率よりモノの使い方や作りかたや自分の考えを他社に伝えることが出来るようになりました。それによって社会が飛躍的に発展を遂げました。

 

数あるジャンル、フィールドで革新は起こっています。ただ、目を見張る爆発的ヒットは「iPhone」「Facebook」「Twitter」などコミュニケーション分野です。これは偶然ではなくコミュニケーションが人類にとって非常に重要だからです。

これらのコミュニケーションがスマホをはじめとするコスト(かかる時間や労力)が格段に低く流動性の高いデジタルコミュニケーションによりまた社会は大きく変わっていっています。

 

2.エネルギー

水力発電、風力発電の発明によって、エネルギーを安定的に生産できるようになりました。今、南北問題の解決に特に重要なのが「電力の普及」とされています。電気による機械の使用は生産性を向上させ、夜の明かりは人間の活動時間を拡張します。その結果教育水準も上昇し、先のデジタルコミュニケーションにもアクセスすることが出来ます。

 

しかし、現在の発電方法は持続可能性が低い。なので早急に持続可能性の高い、エコフレンドリーなエネルギー開発がすすめられています。今までにただ、お金を稼いでいれば良かった企業や国も「エコフットプリント」と呼ばれる、既存の「どれだけお金を稼いだか」で成果が測られていた時代から「どれだけ持続可能な形で社会をよくしたか」を測られる時代へとシフトしてきています。

 

 

3.輸送

今の市場資本経済を支えているのは生産したものを各地に運ぶ流通インフラです。どれだけよい製品を作ったとしても流通インフラがなければ多くの遠くの人に届けることは出来ません。著者はインフラの整備が重要だと言います。

ただ、現代ではここでも革命がおこり始めています。3Dプリンタの存在です。
3Dプリンタによって一人一人が消費者であると同時にその生産者となる時代が来ます。これをプロシューマーと呼んでいますが、自分で使うものは自分で作る。それをすることによって流通という概念が変わってきます。

またそれに共有型経済がそのプロシューマー生活をサポートします。どうしても自分で作れないものはシェアしたり交換したりすることで、生活していけるようになり、互いが私有、私欲、という概念から、社会善、共有、利他性という概念へと移行していき、種として次のステップへ移行すると説きます。

 

 

やはりこの著者も、中央集権的な構造から自律分散的な構造への変化、P2Pの協働型へと変化していくと考えています。

 

 

ちなみに、プロシューマーはガンディーが予見していた「大衆による生産」という思想に近いそうです。ガンディーさすがです。

 

 

お金の欠陥

市場における交換価値は協働型コモンズにおけるシェア可能価値に取って代わられつつある。

ここで僕が思ったことは、「お金の起源的にシェアは確かになかったな。」ということです。お金の起源は①価値の尺度②価値の保存③価値の交換を目的とされていますが、よくよくお金が発生したころを考えてみましょう。

よく例として挙げられるのは、海の民と山の民です。

海の民は魚を捕れます。魚がかなり余っています。
山の民はウサギを捕れます。ウサギがかなり余っています。

そこで交換という概念が生まれます。貝殻(当時のお金)を媒介に魚とウサギを交換します。

ここで重要なのは、魚やウサギをシェアしているのではなく交換しているという点です。シェア出来るほど量もなく、保存も聞かないからです。もっと言うと、海の民と山の民の間では、”仲間”という意識がないからです。「同じ釜の飯を食う仲間」という言葉がありますが、同じご飯を共有することで仲間意識を育んできたのが人間です。と同時に人間史を見てみると時代と共に仲間意識を広げてきたのが人間だということも理解できます。つまり、大昔は”仲間”と認識する範囲が狭かったのです。ので「食べ物をシェアする」という考え方はありませんでした。

 

だからそもそもお金のもともとの目的には「シェア」という発想がありませんでした。なのでお金や製品を個人で私有するという発想は別に絶対のものでわけではありません。

 

ヒュームは私有財産の権利が推奨されるべきなのは、それが自然権にに基づいているからではなく、「有用な習慣」だからであり、財産が自由に市場で交換されるべきなのは「人間社会にとって以上に有益」だからであると主張した。

 

簡単に言うと、「私有」は別に絶対じゃないよ。個人でモノを持たず、皆でモノを共有するって全然アリだよ。ってことです。

僕らが近代に入り育ててきた「個人」「私有」「自立」みたいな価値観から「共同体」「共有」「共存」みたいな価値観を組み込んでいく時代なのではないでしょうか。

 

 

稀少性の罠

今の世界は「稀少さ」が評価されてる世界だなーと思います。

例えば。

「ディープラーニングを使った犯罪傾向の高い人を見分ける画像解析」が出来る人は少ないです。こういう人は時給換算すると2000円とか3000円とか普通にもらえると思います。稀少だから代替可能性が低い。ので高い時給を出すしかない。

反対に、「家族と談笑する」ことが出来る人は多いです。こういう人はどこにでもいるので大体1000円とかそこらでしょう。

 

当たり前と思うかもしれませんがこの仕組みには欠陥があります。

「僕らの生活にとってどちらが真に価値があるか?」という問いにぶち当たった時にその欠陥が姿を現します。

家族と談笑できる人の価値は1000円です。

ディープを使った画像解析が出来る人の価値は2000円です。

 

でも多分、ほとんどの人にとって自分の人生にとって価値があるのは「家族と談笑する」ことではないでしょうか。

家族と幸せにしゃべる、みたいなことは価値があるから多くの人が行います。多くの人が行うという事は稀少性は自ずと低下します。稀少性に根差した価値基準はこういった市場と幸せの価値の間で乖離を生み出します。

 

 

著者の一言は自分たちの生活に重く深く響きます。

だが実際には私たちが 最も望むものすなわち他者からの愛情や最も望むものすなわち他者からの愛情や受容 認知は希少ではなく限りなく潤沢なのだ

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