『TECHNIUM テクノロジーはどこに向かうのか』


「テクニウム」とは「テクノロジー」をもっと大きな視野、生命史的なとてつもないスパンで俯瞰した時の総称のことで、テクノロジーは金槌やペンやPCという”道具”としての意味を超えて”ネットワーク”や”知性”としての側面を持ち始めているという意味を含んでいる。

 

 

テクノロジーの未来は既に決まっている

 

  1. テクノロジーの性質
  2. 歴史
  3. 人間の選択

 

テクノロジーが進化していく過程はある程度予測が出来る。予測するためにはこの3つが重要。超重要。超重要なので1つ1つ見ていく。

1.テクノロジーの性質

  • Simple → Comlex
  • 他のテクノロジーを進化させる
  • 人間の能力を拡張する

僕が一番重要だと思っているのは「テクノロジーがテクノロジーを進化させる」という点だ。言い換えると、新しいテクノロジーが新しいテクノロジーを生んでいくという性質。インクが発明されていないのに、インクペンは発明されないし、インクペンが発明されていないのに3色インクペンは発明されない。

…当たり前ですね(笑)

ただ、テクノロジーがテクノロジーを進化させ、そのテクノロジーが次のテクノロジーを…という流れは止まることがない。逆に、ものすごいスピードで進化するスピードが速くなっている。雪山の頂上から雪の玉を転がしている感じ。ものすごいスピードでドンドン大きくなっていく。

このペースは今後も加速度的に早くなっていく。

 

この性質は構造だ。そういう仕組みになっている。つまり、エジソンが天才すぎたから電球が発明されたわけではなく。エジソンがいなくても2,3年の間に違う誰かが電球を発明したし、ジョブズがいなくてもそのうち違う人がスマホを作った。構造的に流れが決まっているからだ。

 

進化は人間にも言える。昔は変なエネルギー体だったものが海の中を泳ぐ生命になり、それが陸に上がって長い歴史の中でサピエンスを生み、それが後々の人間になった。

テクノロジーがどのように進化していくかを考えるには、そのテクノロジーの歴史をみなくてはいけない。

 

 

2.歴史

 

例えば、

ミサイルの弾道計算機→スーパー計算機→PC→スマホ

 

全ては因果関係にある。全てが一直線上にある。

ただ、テクノロジーの進化は生命の進化よりももっと複雑かもしれない。ミサイルの弾道計算機一つとっても、当時鉄が多く取れる技術がなかったら発展しなかったかもしれない。爆薬が生まれていなかったら発明されていなかったかもしれない。道の病原体が広まり戦争どころじゃなかったら発明されてなかったかもしれない。それぞれが複雑に絡まり合って、あるテクノロジーが発明され、その発明にさまざまな要素が絡まり合って次のテクノロジあーが発明される。

 

これが縦(時代を超えて積み重なっていく)の動きとすると、さらに、テクノロジは横にも作用する。

どういうことか。

 

例えば、”車輪”というテクノロジーが発明されたとする。縦には”自動車”や”自転車”を生み出していく。横には”風車”や”扇風機”の発明に繋がっていく。

 

生命の進化だと、こうはいかない。恐竜が鳥になったからと言って、人間に翼が生えてくることはない。テクノロジーの発明はアイデアベースだから他の系統種にも応用できる。進化の性質として、生命の進化よりも優れている。

これは凄く重大な事実だと思う。

人間(生物)の進化よりもテクノロジーの方がより迅速に画期的に進化する。構造的にそうなっている。

話の本筋とは関係ないが、

人間はテクノロジーの進化についていけるのか。扱いきれるのか。

とても気になる。

 

3.人間の選択

因果関係はあることは分かった。既に生まれたテクノロジーの組み合わせが次のテクノロジーを生んでいく。

では、もう全てテクノロジーの未来は決まっているのか。到達する先が、もし仮に、人工知能が地球上の生命すべてを統治する未来だったとしても止めようがないのか。

 

答えはNoだ。

テクニウムの性質により、テクノロジーが進む大枠は決まっている。構造的に決まっている。

ただ、それは大枠でしかなく、人間がどういったテクノロジーを選んでいくのかは決められるし、作ってしまったテクノロジーを見て、こっちの方向に進んではいけない!と方向を微修正することが出来る。そしてしていかないといけない。

人を無差別に殺しまくる爆薬は発展させる必要がないし、人の生命力を削ぐだけのモノは作ってはいけない。

 

誰でもティーンエイジャーになる事は必然的だが、どういう状態になるかはその人による。

すごく分かりやすい例えだ。より強く優しいテクノロジーを育てたい。

 

 

テクニウムと共生する

「テクノロジーを使う」ではなく「テクニウムと共生する」が正しい理解だと言う。

もはやテクノロジーは道具ではない。

山や海などの自然と同等の存在だとしている。使用するものではなく、共生する存在だとしている。

 

先ほどのテクノロジーの性質の「人間の能力を拡張する」を思い出してほしい。

例えば、車は”足”を拡張し、メガネは”目”を拡張した。本は”脳”を拡張し、服は”皮膚”を拡張した。

 

ヒトはテクノロジーを作ってきた。

逆に、テクノロジーはヒトを作ってきた。

 

僕の視力はたぶん0.1もない。いつもメガネかコンタクトを着けている。メガネがないとたぶん2秒で死ぬ。同様に服がないと冬とかは2秒で死ぬ。スマホが無くても今日の予定が分からなくて2秒で死ぬ。

もっと言えば、分からないことがあったらすぐにググる。そしたら基本的に何でも分かる。遠い昔のご先祖様が賢い人に話を聞いて聞いて聞きまくって、議論しまくって、考えぬいて出した答えも、ググれば2秒で分かる。こんな芸当はテクノロジーと共生しているから出来ることだ。

 

もはや僕らはテクノロジーなしに生きられないし、”僕ら”でいられない。その共生の関係性はこれからもずっと続いていくし、もっと加速していく。

ウェアラブルデバイスが浸透し、街にはカメラとWiFiに繋がったもので溢れ、毎日Siriと二人三脚で生きていく。

こうなってくるとどこから機械でどこから自分なのかはもはや分からなくなる。

 

 

テクニウムは名詞ではなく動詞

テクノロジーが一つ一つの点だとしたら、テクニウムはネットワークであり、それらのネットワークが相互作用によって進化し続けていく様子を指す。

そう考えると、ネットや本や自動車はただの点であり、テクニウムの進化自体は止まることがない。進化が進化を生み、人間に作られつつ人間を変化させる。地球に影響されながら地球に影響する。その他への影響が更に自分を変化させ、その変化がその他を変化させる。

この刺激的な自己加速は自分の尾を喰みこんでいる神話上のヘビ、ウロボロスに似ている。

 

点ではなく、この終わりのない変化が本来のテクノニウムだという。

たぶん地球も同じだ。終わりのない変化が地球

人間も同じ。物質的にも終わりなく変化していくし、価値観も終わりなく変化していく。

 

 

プロセス神学というものがあるらしい。

自分は基本的に、無信仰か軽い仏教だと思っていたのだけれど、この本を読み終えた後では、プロセス神学の考え方はすごくしっかりくる。

 

プロセス神学:神を動詞として捉え、完全な過程であるとする。

 

神は、地球や人間やテクニウムを含めたすべての変化の循環の過程。絶えることのない変化(進化)を神とする。確かに絶えることのない変化は神秘的だ。

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