『お金2.0』


僕が日本で一番頭がいいんじゃないかと思っている佐藤さんの新刊。この世の原理原則を個別具体のものごとから抽象的に捉える能力がハンパない

そんな佐藤さんが書いた、今お金とは何か、経済がどう変わってきているか、という本。

正直このクソブログ読むより佐藤さんのブログが2000億倍面白くて本当の本当にオススメ。

 

 

自由貨幣

ドイツ人経済学者のシルビオ・ゲゼルは『自然的経済秩序』という著書の中で、自然界のあらゆるものが時間の経過とともに価値が減っていくのに、通貨のみは価値が減らないどころか金利によって増えていくことを指摘し、それは欠陥だと主張しました。

 

これめちゃくちゃそうやな、と思いました。一つ前の本、『人工知能は資本主義を終焉させるか』でお金は貯めているだけでは経済が澱むということを書きました。

 

確かに利子とかで貯めてたらお金が増えていくシステムになっているので、価値を眠らせることにインセンティブが働いてしまいます。

そこでこのゲゼルさんが発案したのが、一定期間使わなかったら使えなくなる通貨です。

これは凄い。逆転の発想。

 

これだったらお金を使うインセンティブが生まれ、皆お金を使います。それによってお金の循環が起こり、正のサイクルが生まれます。自分も使う、その分お金が回ってくる。

 

今までずっとお金を稼いだりもらったりしては”使う側”だったので、この経済システムを”作る側”の発想はあまりしたことがありませんでした。”作る側”の視点で「自分だったらもっとこういう経済システムにするのにな」という思考タイプを持てたら貨幣というものに欠陥が多くあることが分かってきます。

 

その中でも一つ大きなキーになるのが、

可視化

です。

 

人間は動物の中では頭がいいと思い方だと思いますが、全然複雑なものを理解することはまだまだできません。目に見えない「愛」や「友情」が大切だと分かっていても、つい目に見える「お金」や「役職」に傾倒してしまいます。

目に見えるということが人間を動かしていく上で大切なのです

 

 

 

資本主義から「価値主義」へ

 

資本主義は有用性だけを評価してきたが、それは価値の内の一部でしかない。「共感」や「愛」や「社会的な善」も立派な価値。
今までそれらが評価されなかったのは可視化されにくかったから

 

今までの「お金」はモノやサービスの有用性しか測れませんでした。有用性とは何か?という話は難しくなるので、”道具としてどれだけ実用的か”という理解で大丈夫です

本来価値は「有用性」だけで測ることは出来ません。「優しさ」「友情」「希望を与えてくれること」など曖昧な目に見えないものも価値。
でも、「有用性」はお金として見えるのに、ほかの価値は見えない。だから有用性だけを測る資本主義に疑問を感じる。

 

ただ、現代では色々なデータが少しずつ可視化することが出来るようになってきています。

例えば、SNSやブログの「いいね!」や「Like」によってでどれくらい人から「信頼」「共感」「注目」されているのかが可視化されています

そういったデータを可視化していく&&お金とそのデータの可視化の発想を組み合わせていくことで今の「お金」よりももっと正確に価値の尺度となる新たな「お金」が生まれてくると予想されています

 

 

ただ、著者はこうも言っています

なぜ多くの人が評価経済や信用経済に対して違和感を抱くのかというと、今話題になっている大半の仕組みが「評価」や「信用」ではなく、「注目」や「関心」に過ぎないから、ということがまず挙げられます。

…確かに。信用されているのと、注目されているのってよく考えると全然違いますね。放火魔とかも注目されますもんね。

 

テクノロジーの発展、IoTによって取れるデータ今の何千倍にもなると、これからもっと正確に「価値」を可視化できる。そうなったときに「お金」は次のステージに昇華されます

 

 

 

 

これ以降は僕の妄想なので読むだけ時間の無駄かもしれません。ただ、常々「人間は目に見えるものに引っ張られるなあ」と思います。

最たるものはお金ですが、正直「いいね」も同じなのではないかな、と思います。あとはバレンタインデーにもらうチョコの数とか。

いいねの数やもらうチョコの数が少なかったら人間として価値が少ないのかといえばそんなことはないです。「もらった”いいね”多いランキング」の中で順が低いことはあるかもしれませんが、人の「価値」という点では全く関係ありません。

 

ただ、人間は目に見えるものに流される。これは絶対だと思うんです。

 

となると、「お金」が次のステージに上がり、「社会的にどれだけいい人か」「どれだけ信用されているか」を可視化出来てしまったらしまったで、恐ろしい未来になる可能性があるのではないか

「人間としての価値を高めよう高めよう」とばかりに可視化された「価値」数値を高めることに傾倒するのではないか

 

 

その世界では、一昔前、手段が目的化して「お金を稼ぐこと」が生きる目的になってしまったように、「自分の価値を高めること」を生きる目的としてしまうのではないか

一見、良いかもしれません。「自分の価値を高めること」。みんなに好かれて次の世代や環境や周りの人を幸せにする。良いかもしれません。

ただ、これは、自分の価値を高める為に周りを幸せにしています。行動だけ見たら利他的に見えますが、心理だけを見たら利己的です。

それも別にいいかもしれません。今もみんな基本利己的に行動しています。

ただ、「家族への愛」や「真実の愛」と言われるものは真の意味で、(一切利己的なインセンティブなしに)利他的でありうるのかもしれないと思っています。個人を超えた社会的な何か(世界ではそれを「愛」と呼ぶことが多い)があるのかもしれない。

 

もしあるのだとしたら、価値を可視化した結果、利他的な「愛」は歪められるかもしれない。何度も言っているように、人間は目に見えるものに引っ張られるので「数値としての価値」を追いかけて家族を思いやった結果、それはもう愛ではない。

 

この辺の高次な悩みについては、またそれだけをピックアップして、本を読んで書こうと思います。つまり「愛とは何か」を見出さないと、本当の意味で「お金」はデザインできないのかも知れません。

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