『エンデの警鐘-地域通貨の希望と銀行の未来-』


ミヒャエル・エンデは今のお金に疑問を呈した作家で「モモ」という作品を残した。その作品は色々な人に「お金」「人生」について考えさせた名作として知られている。(…とか言いつつ僕は読んだことないです笑)

 

 

 

 

 

 

共感とコミットメント

僕のブログに時々出てくるセンさん。僕はセンさんの哲学がこれからの社会にとって重要な示唆を与えていると思っているがゆえによく出てくるのですが、今回も登場させます。

 

センさんは『合理的な愚か者』という著作を出しています。

この本自体もおもしろいのでオススメです。興味あるけど素早く読みたいという人は松岡正剛の千夜千冊で見てみるといいと面白勉強になっていいと思います。

 

 

その本ではタイトルからも分かるのですが、(経済合理的に動くとされている)人間が目先の自分の経済的な利益だけを求めて活動した場合、長期的、全体としては全然合理的じゃないよね、というのを訴えたのがこの本。

 

経済学では経済合理人としてモデルを作るけれど、実際に親から金をとったりしないし、中いい人には値段をまけてあげるとかもあるよーという。だから今まで当たり前にしてきた「経済合理的で利己的に動く人間」という前提を一回疑った方がいいよ、という。

 

 

そこで重要になる概念が

  1. 共感
  2. コミットメント

です。

 

 

どちらも利他的な考えで、どちらも利他的な行動と言えます。センさんは利他的な行動を二つに分類しています。それが1.共感と2.コミットメント。

 

共感は、それによって自分も幸せになる自利利他的なものを指しています。僕が更に注目すべきだと思うのが、コミットメント。

 

コミットメントは、別に自分にとっては特にならないんだけど、まあなんか手伝ってあげるか、みたいなのがコミットメント。

 

 

「利己的な判断ばっかで動いてねえし!」という提唱はほんとにその通りだと思いますし、今後はもっとその傾向が強くなっていくように思います。マズローの欲求段階説的に。

 

 

今までの経済学が利己的な人間を前提にモデルを作っていたのに対し、今からはどういったモデルを作っていくか。そして自分だけじゃなく、社会の為にもなり隣人の為にもなるコミットメントを促進するお金のシステムを作れるかがとても重要になってくると思います。というか作らんとやべえ。

 

 

 

 

政府がやること

フランス革命以降、僕らは「自由」と「平等」と「友愛」を手に入れようと頑張ってきました。これはほぼほぼ全員が同意するはず。自然権も自由や平等を謳っています。

 

しかし、エンデさんの他の著書で、次のような問題提起がなされています。

 

「自由と平等と友愛を一つの鍋にぶち込むな。」

 

 

 

ここでは自由と平等について取り上げてみます。

 

統一国家を作って、その国が3つともを実現しようとしてきましたが、エンデさんは国が担うことが出来るのは「平等」だけであると言います。更には、「平等」といっても「法の前での平等」にしかすぎない。それ以上のことは出来ないんだよ、と。

 

国が出来ることは、出来るだけ皆が納得できる形で、法(皆のルール)を整えていくことであって、別に一人一人の生活や平等に立ち入っていけるものではないし、いくべきでもない。

 

 

自由については、

「精神」のことになると話が違ってくる。そこではどんな一般化も間違っている。(中略)「精神」に関しては、自由の理想が無制限に当てはまる。「精神」は各人各様の能力に応じて、それぞれ独自のかたちを形成されなければならない。

 

IQが高い方がいいとか、健康な方がいいとか、国が「これが正解」と決めることは何も自由ではないんだよと。無制限の自由を、「これが正解」と提示するように出来ている国がどうこう作り出せるわけがないんだよ、構造的に国がやろうとしたら無理なんだ、っていうのが主張です。

 

 

凄い納得です。

3つの要素が重要だけれど、それを国というセクターが全部やっちゃおうと混同するから混乱する。別々に考えて、国がやるべきは何か。それを成すにはどうするのが一番良いのかを考えるべきなのかもしれません。

 

 

 

 

直線的運動と循環的運動

19世紀フランスの経済学者クールノーは運動学と名付けた研究で、次のように述べました。

 

 

直線的運動と循環的運動は運動の幾何学の諸要素である。

 

 

「…は?」って感じだと思いますが、僕たちは貨幣取引をするときにあまり時間軸を取り入れた判断をしません。つまり、iPhoneを買う時に、「iPhoneは現代においてこれくらいの価値で僕はこれくらい喜ぶ、でも1年後は飽きてきていて、3年後はもう替えたいな~って思っていて10年後は邪魔になっている」みたいなことはそんなに観げないと。「今欲しいから欲しいんじゃい!」と。

 

これは難しい言葉で言えば、商品の意味が直線的で変化しないものだと捉えています。経済学も基本的にはこの考えで動きます。(価値逓減みたいなのを加味することはありますが)

 

しかし、実際の世界では、幸福感をグラフにすると直線的には上がらず、放物線を描きますし(ex:おなかが減っている時に食べるのと、おなかがいっぱいな時に食べるのでは幸福感が違う)、同じ商品でも10年前にiPhone(初代)を買うのと今iPhone(初代)を買うのでは意味が違います。そして買った後も意味は変化し続けます。

 

僕は、幸福感も時間も直線的ではないのに、無理やり直線的だとみなすことが、そして、その直線的運動と周期的運動のズレが人々に違和感や苦しみをもたらしていると思っています。

 

 

ちなみに、周期的運動については仏教を学べばかなり実感知として理解しやすくなると思いますし、東洋思想、例えば本書の中では二宮尊徳の一円相が挙げられています。

 

 

 

時間認識力

さっきの話と繋がっているのですが、僕らは時間的認識力が弱い。

今認識できている3次元世界は時空で出来ています。

 

人間は空間の認識能力はある程度高くなってきている感はありますが、時間認識能力は低いと言わざるを得ません。

例えば、「途上国の人の人生の選択肢が少ないから、なんとかしなくては!!!自分だけ良い生活していて、全然平等じゃない!!!」という人はいっぱいいるのに、「未来の人の自然的選択肢が少なくなりそうだから、なんとかしなくては!!!全然平等じゃない!!!」と叫ぶ人は少ないです。

 

実際に会うこともないし、顔も名前も知らない途上国の人のことを考え、行動する人々も300年後の実際に遭うことも顔も名前も知らない未来の人のことを考えることはあまりありません。

 

このように時間低認識力が低い結果、環境破壊で割りを喰うのは僕らの子孫かもしれません。僕らではなく。

 

 

 

 

 

直線的運動のところでもそうでしたが、「時間」をどう認識するか、が一つこれからのキーになりそうです。

 

時間認識能力も訓練すれば伸ばすことが出来るので、ちょっとずる伸ばしていきたいと個人的にいくつかやっています。勝手に時間認識能力が伸びちゃう社会システムを構築したい。

 

 

 

 

無利子と“開かれた系”

スウェーデンにJAKという銀行があって、JAKはそれぞれ(土地、労働、資本)の頭文字をとっています。

 

 

JAKでは基本無利子です。これは、「ただ金だけ貸してお金を儲けるってなんかダサくね?」っていう思想に基づいて行われています。

 

今、世界中で無利子経済の必要性が叫ばれていますが(格差が拡大すると考えられているからです)、ケインズが言うように、お金がないときは利子があっても借りたいと考えるのが人間であり、そういう人がいる限り、利子は存在し続けます。

 

実際、1919年にシルビオ・ゲゼル(減価する貨幣であるスタンプ貨幣を提唱した偉い人)が大蔵大臣のときに、無利子経済を導入しようとしましたが、結果は惨憺たるものでした。

 

 

投機的なお金が世界中を行きかう今、例えば私たちがスウェーデンの国立銀行に利子をゼロまで無理やり引き下げさせるなら資金はたちまち海外に流出することでしょう。ある国から利子を廃絶するのはケインズの時代より困難なのです。

 

 

これはグローバリズムによってお金が世界共通でリンクしているからです。お金は甘い場所を求めて移動し、増殖すると考えられています。

 

ちょっと話はそれますが、経済成長に関する話も一緒です。

 

経済成長だけを指針にしていくのはばかげている、もっと実際の幸福に根差した指標を立てて、それを高める方針を取っていこう!ということで、日本が経済成長率よりも幸福度を重視したとします。

 

しかし、世界は経済成長率を上げることを目指しているので、相対的に日本の経済成長率は下がり、その結果貧困が増え、その結果幸福でなくなります。

 

 

核も一緒ですね。皆で一気にやめたら皆HAPPYなのに、「他の国が持ってるのに、私の国だけ手放せないいいい!!」ということでどの国も手放せません。私が手放さないから相手も手放せないし、相手が手放せないから自分が手放せない。

 

 

”開かれた系”、つまりグローバリズムは本当に厄介です。真に閉じた系であれば、無利子を導入して、GNP(Gross National Product)からGNH(Gross National Happiness)に転換し、核武装を辞めたらいいです。

 

 

世界中がリンクして複雑に絡み合っている現状の中で、どう世界全体で舵を切っていくのか。ボトムアップのグローカル経済なのか、トップダウンの世界政府なのか。中国、アジアを中心とする世界連合なのか。

 

何かは未だわかりませんが、解決策を出していかないといけない。僕はそこでグローカル経済がいいと思っています。いいと思っていますが、最後に著者の川邑さんの発言でしめたいと思います。

 

地域通貨は、地域復興の切り札であるとか、コミュニティを創造するシステムだとか、そんなうまい話ではないのです。地域通貨が持っている可能性はシステムから来るのではなく、個人にあると考えています。地域通貨は参加する人の問題意識や理想、思惑をそのまま映し出します。

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