『電子貨幣論』


Blockchainが発明される前に書かれた電子化弊に関する論考をまとめた本で、読んでいると、「中央銀行が発行しない貨幣なんて、と確かに思われますが~」みたいなことが書かれていて、こうやって歴史は変わっていくんだな、と思いました。


貨幣自由発行

ずっと考えていることですが、「お金とは何か?」という問いには色々な回答があります。多面的な側面を持つからです。

その一つには、「お金とは、お金であるからお金である」ということが言えます。

 

 

皆がお金をお金と思うから、次の交換でもお金として使え、そういう前提が成り立っているから、お金が流通しうるということですね。

 

しかし、その前提が崩れる状況は起こり得ます。お金がお金じゃなくなる時はいつでしょうか。

それはハイパーインフレの時です。

 

 

ハイパーインフレでは貨幣の価値が薄まってしまい、お金がお金として機能しなくなります。貨幣への信用が失われています。

ハイパーインフレーションこそが資本主義の危機なのです。

 

 

 

その昔、現在進行形で行われているBlockchainでの自律分散化の流れを暗示するかのように、ハイエクは貨幣の自由発行論を唱えました。

国が中央集権でお金を作るのではなく、自由にお金を発行できるようにしようというものです。

本当に貨幣が自由に発行できるようになると、デメリットはないのでしょうか。それについて考えます。

 

貨幣発行主体はシニョリッジを得ることができます。シニョリッジとは貨幣発行益のことです。作ったお金の価値ー材料費(紙とインク代)=シニョリッジです。

 

シニョリッジを得られるということは、お金をたくさんすれば発行主体はそれだけで大金持ちになれるので、たくさん刷ろうという誘惑にかられますが、勢い余って刷りすぎるとインフレになります。それが行き過ぎるとハイパーインフレになります。

 

あれ?ということは、調子に乗ってお金を刷りすぎると、そのお金自体が希薄化し、信用を失い、「お金は、お金であるからお金である」という前提が崩れ、その独自経済は崩壊してしまいます。

 

これがデメリットというか懸念すべき点です。ここは何かAIで自動調整にするとか、民主的に全員の監視によって発行量を調整すると何かしらの対策を考えなければならないように思いました。

 

電子貨幣の世界はあたしで天国と言うべきなのかはたまた地獄と言うべきなのか。いや、世の常として天国と地獄とは表裏一体の関係になっていると言うべきだろう

 

 

※ハイパーインフレが起きるかどうかには諸説あります

 

 

 

情報化社会

歴史を見ていくと、最初から今のような自由資本主義社会があったわけではありません。

 

昔は社会を動かす要因としては、経済よりも政治がその中心にありました。しかし、段々と経済の占める割合が増えるにしたがって、ゲームの主要プレイヤーも家族や国から、経済に影響を与える「産業」に移っていきました。

そしてそれには続きがあり、その延長には、情報や知恵を武器とし、説得や誘導を行う「智」のゲームが訪れるといいます。

 

既に今の社会は高度情報化社会と言われていますが、まだまだここから情報化社会は進展していきます。

 

 

 

情報化した社会はどのようになっていくのでしょうか。

まず、インターナショナルからトランスナショナルに変化します。これは今現在起こっていることです。

今までは、せいぜい国対国でつながっているような関係性でした。そこには「国」と「国」というまとまり同士の境界がある関係性でした。

しかし、トランスナショナルな関係性では、境界自体が溶けていき、シームレスにすべてが繋がっていきます。

 

そうなると、国と社会の関係も変化し、さらにそれによって、社会と通貨の関係も変わってきます。鶏と卵の関係で、すべてが連動して間接的変化を受けるようになります。

 

電子マネーは境界を溶かします。境界を溶かすのですが、それは境界の喪失を意味するものではありません。同時に、電子マネーは新たな境界を作るのです。

 

というのは、電子マネーを使いこなすためには、例えば、情報機器を使いこなせることや、外国語を使えることなどが、目下行わなければいけないこととして挙げられます。

そこでは、情報機器をうまく使いこなせない人は電子マネーを利用することが難しく、国境という境界の形ではなく、「情報機器を使える人と使えない人」という境界を作り出すことが予想されます。

 

さらには、制度的な変化も情報化は促します。通貨の発行者が複数化することによって、現行の貨幣への規制が機能しなくなることがあります。そこにも対応しないといけないですし、従来の金融機関も変革を迫られます。銀行は今までの業務ではなく、貨幣発行主体と使用者のマッチングを行うような組織になっているかもしれません。

 

 

 

 

贈与経済

電子貨幣が貨幣だからと言って「交換」だけを促進するわけではありません。

市場社会にも贈与経済活動はまぎれて常に存在しています。そして、インターネットは本来は贈与経済的な発展として存在しています。オープンソースとかオープンイノベーションとか最近のNEMの追跡とかも贈与的ですよね。

ここには市場経済とは異質な文化的象徴的な色が見られます。

 

 

このような文脈で考えると、必ずしも純粋な市場原理を持つ電子世界通貨みたいなものが作られると決まっているわけではありません。

むしろ、普遍的な交換手段としての電子マネーですべてを処理しようとするよりも、電子マネーをうまく利用して、サイバースペース上でローカルな贈与行為を促進する方が、結局は成功の可能性が高いのではないだろうかと、著者は言ってはります。

すごく同感です。今の通貨を真似ても先が見えていると思います。

 

 

 

結局は技術的なことよりも、カールポランニーが言うような、「市場」「共同体」「国家」の動的均衡点をどう探って調整していくか、ということを考えるべきなのだと思います。

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