脱商品化


脱商品化を勉強したかったので『福祉資本主義の三つの世界』『福祉レジームの収斂と分岐』『脱商品化の時代』の関係ありそうなところを読みました。最近思うのは、「近道はない」ということで、誠実に生きたいということです。

 

 

 

 

一応簡単に振り返り。

日本はアメリカ型の社会保障とヨーロッパ型の社会保障をブレンドして日本オリジナル?の社会保障を作っていきました。

 

人々は労働市場で自分の労働力(時間)を売っているので、それを商品化と呼びます。

市場に関して言えばアメリカ型を採用しており、市場の自由化を進めて、商品化を推し進めました。そして企業福祉を充実させたこともアメリカと似ているのですが、アメリカが個人の能力や業績による評価による「個人主義」&「成果への報酬」だったのに対して、日本は年功序列と共に、「集団的」&「従業員への配慮」でありました。

そして疑似家族的共同体を作っていきました。

 

社会保障に関して言えば、ヨーロッパ型です。基本的に。なんですが、ヨーロッパの国々は経済成長率が下がってくる、つまり、経済水準が上がるにつれて、社会福祉に重点を置くようになっていくのに対し、日本の場合は社会福祉の予算比率が上がりませんでした。

 

それら二つをブレンディした感じが日本の体制です。

 

 

 

生活保障

Workfareという言葉があります。Work + Welfareです。

「福祉の目的を就労の拡大におき、同時に福祉の受給条件として勤労を求める」考え方です

 

Workfareはなんか生活保護の人を労働力として活用できるし、その結果賃金払えてその人の生活も良くなるし、自立できるしなんかめっちゃコスパ良くね!?ってことで最近導入する国が多いように思います。

 

しかし、脱商品化の文脈で考えてみると、また違った側面が現れます。

商品化されたものを、再度、脱商品化することが福祉国家の成り立ちとも考えることが出来ます。

なぜなら社会は市場・共同体・国家の三つから成り立っており、商品化は市場がもたらす影響です。すべてが商品化されている社会は、市場(商品化)に覆われている社会と考えることが出来ます。

 

それは社会のバランスがおかしくなっている為、共同体や国家(福祉)のプレゼンスを高め、脱商品化を測らなくてはなりません。

一回商品化をして更にそれを脱するという「商品化→脱商品化」の流れが必要なのは、商品化によって経済的発展が見込めるからです。競争の原理によって活性化されます。

 

 

ちょっとわかりづらい感ありますが、話をWorkfareに戻すと、WorkfareはWork(=労働=市場=商品化)によってWelFare(=福祉=国家=脱商品化)を代替しようという構造があります。

一見、イケイケに見えるWorkfareですが、内面的な意味を考えると、WorkはWelfareを代替することは不可能です。なぜなら果たす役割が違うからです。商品化のWorkが脱商品化のWelfareを代替することは不可能なのです。

 

しかし、実際には問題が収まっているかのように見えるのがWorkfareだという批判が本書の中で見ることが出来ました。

 

 

 

 

問題の根幹

上記が社会福祉や国策に関連する議論の基を辿ると、結局はNational Minimumの議論に行きつきます。

National Minimumの議論とはつまり、

社会政策の歴史を振り返ってみるならば、政策を巡る対立は、主要には、市場原理からの免責がどの程度許容されるべきかという点を巡って生じてきた。(福祉資本主義の三つの世界)

とあるように、国がどの程度、市場原理の穴を埋めるのか、という程度をどこにすればいいのか論争です。

 

ついついコスパで政策を判断してしまうことが多いですが(少なくとも僕は)、一つ一つ政策の裏には歴史があり、イデオロギーがあるわけで、それがどのような自由観、権利観、愛観、公正観、社会観…etcを持っているかに依拠します。

 

単に生活を保障すればいいという話ではなく、そこでは民主主義政治の質が問われているのである。(福祉レジームの収斂と分岐)

 

 

というのが本書に書いてたことで、National Minimumのラインをどこに線引くかというのは未だ正解は見えていません。というか、正解はそもそもありません。

試行錯誤を続けていくしかない問題ではありますが、一つ本書で示されていた提案と僕の考えは非常に近かったです。

 

 

それはBIと共同体中心の社会です。

福祉政策的な意味合いのBIによって脱商品化を測り、市場・共同体・国家のうちの大きくなりすぎた市場を縮小させ、その空白を国家と共同体で埋めます。

国家が大きくなりすぎたり、BIをすると、脱商品化に伴い、脱家族化が起こると思われます(BIにより扶助を発生させる経済的誘因がなくなるから)。だとすると、人とのつながりのないとトップダウンの社会などディストピアでしかないと思うので、求められ、普及するのはボトムアップの共同体のプレゼンスも今より高める必要が生まれるからです。

 

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